黒岩重吾の古代史シリーズを読んで

黒岩重吾の古代史シリーズの『天の下の太陽』『天翔る白日』は、大化の改新の13年後(658年)から壬申の乱を経て、686年天武天皇、大津皇子の死までの30年間を小説にしている。
ここで感じるのは、「勝者は、勝者のままで終わらない」ということだ。
中大兄皇子は、大化の改新後、さまざまな策略を図り、幾人ものライバルを蹴落としていく。そして天智天皇として即位し、天皇中心の中央集権国家建設を強引に進めていく。弟の大海人皇子が、次の天皇として見られている。大海人皇子は、文武とも優れ、身の回りの世話をする地方豪族の子弟からなる舎人(とねり)からも慕われている。

そうした中で天智天皇は、我が子の大友皇子を次の天皇に指名する。大海人皇子は次第に閑職に追いやられていき、誰も近づいてこなくなる。

天智天皇が晩年、胃の病いに苦しみ、死期が近づいたとみると、大海人皇子は吉野滝宮への脱出を決意する。天智天皇が病のため気が弱り、大海人皇子への兵の派遣を阻んでいる間に、何とか危険な近江京(大津)から脱出しようと図る。途中に馬を配置し、吉野宮滝へと一気に駆ける。

近江京が、唐と新羅の半島支配をかけた戦いの双方から恫喝も含んだ援軍依頼があり、その対応に右往左往している間に、吉野から伊賀、桑名、尾張、美濃へと周到に準備を進め、8ケ月後挙兵する。壬申の乱である。半月後、近江京は炎に包まれ、大友皇子は自刃し、大海人皇子は天武天皇として即位する。倭国の国名を日本とする。
以上が、『天の下の太陽』の概要である。

大海人皇子は、兄である中大兄皇子の4人の娘を妃にしている。
長女の子供が『天翔る白日』の主人公である大津皇子である。
母親は皇子を生んでまもなく亡くなる。
皇后となった次女の子供が草壁皇子である。

大津皇子は、天武天皇の若いころとよく似ている。文武に優れ、舎人からも慕われ、人望も厚い。天武天皇も何かと目をかけて頼もしく感じている。一方、草壁皇子は病弱で凡庸である。母親の皇后は我が子を次の天皇につけたくて、いろいろ工作する。吉野への脱出、吉野からの脱出と苦渋の旅を一緒に味わった気丈な皇后を天武天皇もなかなか抑えることができない。大津皇子側と皇后側が危険な状態へ近づいていく。大津皇子も挙兵の準備をする。

686年、天武天皇は体調を崩し、崩御される。このとき大津王子は都にいた。
大津皇子の舎人は大海人皇子の舎人に較べて弱い地方豪族の子弟のため、大海人皇子のように地方で挙兵するという手立ても準備もなかった。そのため、崩御の混乱の中で、一気に決着をつけるしかなかったのだが...
実権を握った皇后は、大津皇子と親密な皇子の密告により、謀反の罪で大津皇子に兵を差し向ける。
689年、天皇位に就かぬまま草壁皇子は病気により亡くなる。
翌690年、皇后が即位して、持統天皇となる。
以上が『天翔る白日』の概要である。

壬申の乱で勝者側にいた者が、敗者側の轍を踏まないように策をとる。
それが、勝者である天武天皇が望まない形であっても。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

前の記事

WordPress 作品のいろいろ