成就に必要なもの(江戸時代に筑後川灌漑を行った5人の庄屋『水神』)

帚木蓬生さんの『水神』を読了。
一気に読んでしまった。
江戸時代初期、九州の筑後川沿岸の台上の乾いて痩せた土地の5人の庄屋が、発起請願して、灌漑工事を行った物語で、現在も整備された水路を水が流れている。

大分市にも初瀬井路というものがあり、平地を流れる大分川とは別に、平地より10m位高い山肌に幅3m深さ2m位の溝渠を穿ち、平地の田畑に水を供給している。
戦国時代から江戸時代にかけて3期に分かれて、井路が繋がれていった。

私が生まれ育った大分市賀来の賀来神社の鳥居の近くに、大きな石碑があり、小学校の登下校時に毎日その横を通りながら、それが何だったたのかが、わからず、残念。

[後日追記]
先日帰省して確認した所、昭和12年にもらった「従三位正一位」(?)の受章記念碑でした。

現在、湯布院は全国的に有名であるが、
私が子供のときは、鄙びた田舎の温泉にすぎなかった。
それが、丁度機を一にして、亀の井別荘の中谷さん、玉の湯の溝口さん、夢想園の主人の3人が発起先導して
新しい温泉町の町作りを始めた。
そのために、みんなでドイツの湯治地に調査に行ったりしている。

先程の筑後川の灌漑もそうだが、
『水神』の最後の方にある文章が、このプロジェクトの成功の鍵が何だったのかを解き明かす。

この五人のうちだれひとりが欠けても、この大事業の企ては成らず、またこの五人の庄屋が、別々の時代に江南原に出生していても、この事業は起案されず、まさしくこの寛文年間に、五人が打ち揃って庄屋を務め、お互いの身命を賭けて手を取り合い、心を一にしたその一点こそ、天の配剤、神仏の力を感じるのでございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

前の記事

勝海舟について

次の記事

帚木蓬生さんの著作を読む。