日本とイタリアのヴェネティアの興亡の歴史が重なる

日本は明治維新から、急速に近代化を進め、アジアで巨大な存在になっていく。

ヴェネティアは、5世紀末、西ローマ帝国滅亡後、蛮族の侵入で混乱しているイタリアの諸都市の中で、
入り江に囲まれた砂洲の上でいち早く海洋交易国家の体制を整えて、地中海貿易に積極的に関わっていく。

蛮族の攻撃を退けた作戦もすばらしい。

黒海沿岸、中近東、エジプトと結ぶ高速ハイウイェイを設置し、中継地を設け、
いつでも戦闘船となる船団を組んで、アジアから胡椒、小麦、奴隷などを運んでいた。

情報機関を設置し、海外情報も盛んに集めていた。

これらのシステムが有効に活動して、ヴェネティアは一大強国となっていく。

そうしたなかで、15世紀ごろから、貿易の中心が大西洋沿いになっていく。

この時期ヴェネティアも、イギリスから綿毛を買い取り、棉織物をイギリスで売るようなことをやっている。

ポルトガル、スペイン、フランス、イギリス、ドイツなどが、一大消費地となっていく。

地中海貿易が衰退するにつれて、ヴェネティアの交易量も減っていく。

文化の面では、1492年フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチの死去により急速に終焉を迎えたルネッサンス文化が避難所としてヴェネティアに集まり、ここで最後のルネッサンスの花が開く。

日本でいえば、第二次大戦後、購買力のある欧米相手に1ドル=360円という安い交換レートに支えられて
富を蓄えていき、そのうちに、国内が一大消費地となっていった。
これにより、消費人口の多い日本は一気に経済大国になっていく。
企業の視線が、海外から国内の消費者の嗜好へと移り、国内のパイの奪い合いへと移っていった。
一定の消費力しかない欧米などの海外より、貪欲な消費力のある国内に眼を奪われていった。

そして現在、日本の消費力は停滞し、中国、インドネシア、インドなどが一大消費地となっている。

交易活動の中心が上海からインド洋までの領域に移っていく。

経済活動は、1+1=2の世界であり、日本が昔の経済大国に還りざこうというのなら、
日本及びその近郊に一大消費地を作るしかない。

一大消費地になるためには、購買意欲の強い中間層の大きな塊りが必要。
日本及びその近郊にはこのような集団はいない。
ということは、日本がこれ以上の経済大国になることは不可能ということになる。
日本は、一大消費地に商品を提供する国の一つになっていくしかない。

日本の企業は、生き残りを賭けて海外進出せざるをえなくなっているが、
動けない日本は、何か別な方法を考えるしかない。

アジアの次の一大消費地はどこか、となると、
アフリカ?
政情不安と社会インフラが整備していない、
世界からの援助により、地元の商業が育っていない、
富の蓄積と再分配、同じ場所で農業、商業、工業の日々の繰り返しの中で根付いていく技術や富の蓄積と継承が
無ければ、中間層は育っていかない。
そのため、アフリカが一大消費地になることは難しい。
アフリカが一大消費地にならなければ、北極航路でヨーロッパへ速く行くことができても、
ヨーロッパは中継地として、力を発揮しようがない。

では、ブラジルを中心とする南アメリカかというと、
ブラジル1国というのと、アマゾンやアンデス山脈などによる人口流動と他国との連携の低さなどにより
遠からず頭打ちになっていくと思われる。

それでは残すところはどこかというと、
ライン川とドナウ川を結ぶ東側の東欧から黒海周辺のウクライナやトルコにかけての領域が
次の一大消費地になる可能性を秘めているように思える。
ソ連の衛星国として、長年資源と食料の供給国とされてきた鎖を脱して、それぞれが自立した国になったとき、
それには多分、ドイツの積極的な支援が必要だと思う。
自分のすぐ隣に一大消費地ができることは、良い製品を作りたいという日本人と似た性情をもつドイツ人にとっても
良いことではないかと思う。
ドイツは現在、西の方ばかり見ているが、ユーロ危機を脱する特効薬として、将来の布石として、また一大消費地を作って世界の経済や政情を安定させるためにも是非、東、及び南東を見て欲しいと思う。

そうなれば、ヨーロッパへの近道となる北極航路は、日本にとって意味を持つものとなる。

 

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