臥薪嘗胆の3名臣(伍子胥、范蠡、文種)

なかなか文章をうまく書けないので、BeneDictさんの第85話(呉越戦争Ⅲ)より

伍子胥は、呉で唯一、越の謀略を見抜き、警告し続けた忠義の臣だったが、呉王の信頼をえることはできなかった。王への進言が真っ直ぐ過ぎたのであ る。伍子胥は、かつて、恨みを晴らすため、亡き楚の平王の墓をあばき、王の屍(しかばね)をむち打たせた。「屍にむち打つ」の語源となったこの故事をみて も、伍子胥の感情の激しさは尋常ではない。つまり、人に嫌われる普遍的資質があり、それが呉王との関係を破綻させたのだろう。伍子胥の死の責任は、夫差だけにあるとは思えない。

一方、范蠡は人生の達人であった。会稽 の恥の原因となった出兵でも、勾践が聞かぬとわかればすぐに容認し、負けた後に備えた。このように、感情をおさえ、遠点を見て、遠回りも辞さない大局観 は、伍子胥には見られない。この点で、范蠡は三国志の諸葛亮孔明に似ている。孔明が蜀王 劉備とその子 劉禅から絶大な信頼を得たのは、過ちと分かっても、いったんやらせ、失敗後に備えるという、深い気配りによっていた。

また、范蠡は、越王が目的を成就すると、すべてを捨てて、第二の人生に旅立つ。このような達観と決断は文種には見られない。そして、この資質の欠如が文種の死をはやめたのである。いかに功名をあげとも、出世しようとも、家臣はあくまで家来、権力は王からの借り物、幻影にすぎないのである。

こうして、呉越の戦いは、呉が滅び、越王 勾践が春秋の覇者になることで終わりをつげた。復讐、運命の逆転、王とそれを取り巻く重臣たち。なにもかもが、歴史とは思えないほど面白い。また、呉越同舟、臥薪嘗胆など多くの格言も生まれた。呉越の戦いは、三国志にくられべれば影は薄いが、中国史で最も面白い物語の一つである。

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