ファラデーとマックスウェルの静かな交友

1850年代後半、老齢に域に入ったマイケル・ファラデーは、当時まだ20代だった痩身のスコットランド人、ジェイムス・クラーク・マックスウェルと手紙をかわし始めた。
一見すると、この二人はかなり離れた人物のように思える。
マックスウェルが19世紀を代表する数学的思考に優れた理論物理学者であるのに対し、ファラデーは簡単な足し算引き算を超えるレベルの数学が得意でなかった。
だが、二人はもっと深いレベルで親密に結ばれていた。
優秀な数学者であるマックスウェルは、ファラデーが描いた、一見単純な図を深く理解した。
才能の劣る研究者たちがファラデーの手による図を子供が描いたようだと馬鹿にしていたが、マックスウェルは決してそうは考えなかった。
(「ファラデーの研究を知るにつれ、数学的記号を用いて表されていないが、彼もまた数学的な方法を用いていると気づいた]とマックスウェルは記している)。

ファラデーの1821年の大発見やその後の研究によって既に、電気を磁気に、磁気を電気に変換させる方法が明らかになっていた。
そして1850年代後半、マックスウェルがファラデーの見解を発展させ、ガリレオやレーマーが解けなかったことを見事に解明した。

光線の内部で何が起きているのか、ということについて、マックスウェルが理解するようになっていったのは、それもやはり電気と磁気の間のやり取りのバリエーションにほかならない、ということだった。
光線が進み始める時の様子については、こう考えるといい。
まずは微量の電気が発生し、電気が進むにつれて磁気を生じさせる。
その磁気が歩みを進める先にまた、電気が起きる。
編み縄の鞭をふるうとしなりが前に進んでいくようにものだ。
電気と磁気は交互に互いを馬跳びで飛び越えるように、小さなジャンプを素早く繰り返す。
マックスウェルの言う「相互作用」である。

レーマーが認めた太陽系を高速で渡る光と、マックスウェルが目にしたケンブリッジの石塔に反射する光は、この猛烈な勢いでなされる馬跳びの連続なのである。

これは19世紀の科学が成し遂げた最高の発見の一つにあげられる。
この洞察を要約したマックスウェルの方程式は、古今を通じて最も偉大な理論上の成果と考えられるようになった。
しかし、マックスウェルはいつまでも、自分の業績にどこか物足りないものを感じていた。
突き詰めると、光波はどのようにこの奇妙な馬跳びを行っているのか。
マックスウェルにはわからなかった。
ファラデーにもわからなかった。
明確に説明のできる者はいなかった。

その説明は、50年後のアインシュタインの登場を待つしかなかった。

            出典:『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』(D・ボダニス、ハヤカワ文庫)