新明和工業が海上自衛隊の救難飛行艇US-2の製造の苦労を書いている漫画 『US-2 救難飛行艇開発物語』は技術者の美談ですが、別の角度から見ると、上へ予算を取りに行く勇気を持たない発注者が、下へ技術的犠牲を求め続けた物語といえる この要求は、コスト削減ではなく、使命感の搾取である  コストカットのために本来いいものを作るというためにある、何千万円分もの技術者の時間と労力が費やされている。国家が本当に守るべきだったのは、完成した一機だけではなく、次もまた良いものを作りたいと思える技術者の心だったと思うが。この本を読むと、20年で防衛産業から民間企業が100社超え去ったのもよくわかる 2026/07/28

ChartGPT 5.5
まったくその通りです。
その場面を読むと、「なぜ新明和側だけに300億円を削らせるのか。必要な性能だと防衛庁自身も認めるなら、発注者が上へ予算増額を説明するのが仕事ではないか」と思います。

700億円で始めたものが1000億円になった場合、本来まず切り分けるべきなのは、

  • 当初の見積もりが甘かったのか
  • 防衛庁が途中で要求を追加したのか
  • 安全性を満たすため不可避の設計変更だったのか
  • 技術者が性能を追い求めすぎたのか

という点です。

ところが、それを曖昧にしたまま、

予算枠は700億円だから、300億円削れ。削れなければ計画自体をやめる

と言えば、発注者は自分の責任を製造会社へ押し戻しただけです。

しかも救難飛行艇の場合、「良いもの」とは豪華装備を付けることではありません。荒れた海へ着水できること、低速で安定して飛べること、塩水の中で壊れないこと、遭難者を安全に収容できることです。どれを削っても、実際の救難現場で人命に返ってくる。

それでも予算を削れと言われれば、技術者は目立たない部分から切ります。試験回数を減らす、部材の余裕を縮める、協力会社への価格を下げる、将来の整備性を後回しにする。完成時には表面上の仕様を満たしていても、産業基盤や長期の信頼性が痩せていきます。

防衛庁の担当者にも事情はあったのでしょう。自分の権限では予算を増やせない。財務当局や国会へ説明すれば、「なぜ当初見積もりを超えた」「誰が責任を取る」と追及される。内部でも主会社となった新明和は、他社から非難され攻撃される。そして責任者が他社からの者に変えられる。
発注者側は、上へ難しい交渉を持っていくより、立場の弱い受注企業に削減を迫る方が容易になります。

しかし、それでは発注担当者ではあっても、国家の装備開発責任者ではないのですね。

本来は防衛庁側が、

当初700億円だったが、この性能を実現するには1000億円必要である。増額しなければ、外洋での救難能力はこの水準まで落ちる。それでもよいか

と政府や国会へ持っていくべきです。

そして政治の側が、「1000億円を払ってでも必要だ」と決めるか、「この性能は諦める」と決める。性能も維持しろ、予算も守れ、納期も遅らせるな、という三つを同時に企業へ押しつけてはいけない。

これはトヨタなどの原価低減要求にも似ていますが、防衛調達では一層深刻です。自動車部品なら、毎年大量に作る中で改善余地が生まれます。飛行艇は少数生産で、代替顧客もほとんどいない。そこで値下げを続ければ、効率化ではなく、企業が国家のために蓄えた技術を食いつぶすことになります。

『US-2 救難飛行艇開発物語』は技術者の美談ですが、別の角度から見ると、

上へ予算を取りに行く勇気を持たない発注者が、下へ技術的犠牲を求め続けた物語

でもあるのでしょう。

「計画をなくすぞ」という脅しに新明和が耐えて完成させたため、結果は成功に見えます。しかし発注側からすれば、成功してしまったことがかえって悪い学習になった可能性もあります。

強く迫れば、最後は企業が何とかする。

この甘えが積み重なった結果が、防衛事業から100社以上が去った現在につながっているのだと思います。

そうだね、読んでいて2巻目あたりで反吐が出る

わかります。
技術者たちが困難を乗り越える物語のはずなのに、読んでいるうちに「頑張れ」ではなく、なぜここまで発注側の無責任を現場が尻ぬぐいしなければならないのかという怒りが先に立ってしまうのですね。

とくに腹が立つのは、防衛庁側も必要な性能だと分かっているのに、自分たちが上へ説明して予算を取りに行かず、

予算内に収めろ
できなければ計画を打ち切る
しかし要求性能は落とすな

と新明和へ押し返すところです。

これは交渉というより、弱い立場へ責任を落としている。新明和には他の顧客がほとんどなく、計画が消えれば技術者も生産基盤も失われる。その事情を知ったうえで「話をなくすぞ」と言うなら、実質的には脅しです。

しかも技術者たちは、救難飛行艇を必要とする現場の隊員や遭難者の姿を知っています。だから「ではやめます」と簡単には言えない。発注側は、その使命感まで交渉材料として使ってしまう。

そこが一番いやらしいのだと思います。

企業側が利益のためだけに作っているのなら、採算が合わなければ断れます。ところが「人命救助」「国防」「国産技術の維持」といった大義があると、技術者ほど引けなくなる。その良心と誇りに寄りかかって、予算不足や制度の欠陥を押しつける。

漫画では結果としてUS-2という優れた機体が完成するので、美談として読めてしまいます。しかし反対から見ると、

国家が技術者の使命感を担保にして、無理な仕事を完成させた記録

でもあります。

そして完成してしまうと、発注側には「やはり強く要求すれば何とかなる」という成功体験だけが残る。現場には疲労、赤字、撤退する協力会社、途切れそうな技能が残る。

二巻あたりで反吐が出るという感覚は、技術者の苦労が大きいからだけではなく、まじめで逃げない人ほど損をする仕組みが、善意と愛国心の言葉で覆われているのが見えてしまうからでしょうね。

それはおそらく、月島冬二さんの
**『US-2 救難飛行艇開発物語』**です。

2017年2月発売の『ビッグコミック』3月増刊号で始まり、約3年間、全20話にわたって連載されました。単行本は全4巻です。新明和工業自身も取材に協力しており、海上自衛隊、防衛装備庁、新明和工業などの協力を得て、US-2の開発と完成までの苦闘を描いています。18

築城さんが覚えておられるように、単に「高性能な飛行艇ができました」という成功物語ではなく、

  • 荒れた外洋に着水するための船体形状
  • 極低速で飛ぶための境界層制御
  • 塩水や波の衝撃に耐える構造
  • エンジンや各装置の配置
  • 防衛庁側の要求と、製造側の技術的限界
  • 開発費、納期、安全性の間での激論

といった、完成機を一つのシステムとしてまとめる苦労が中心でした。作品紹介でも、完成まで「苦難の連続だった」とされ、日本の航空機開発を描く実録的な作品と位置づけられてい13

今の新明和の無人飛行艇を見ると、あの漫画で描かれた蓄積が、単なる過去の成功談ではなく、次の無人機や海洋監視技術へ伸びているのが分かりますね。US-2は少数生産で目立ちにくいですが、日本が完成機開発の能力を完全には失わずに済んだ、細いけれど非常に重要な地下茎だったのだと思いす。

Fable 5
その連載、おそらく月島冬二の『US-2 救難飛行艇開発物語』ですね。ビッグコミックスペリオール(小学館)で2015年から連載されていた作品(ChatGPT の方が正しい、2017年2月発売の『ビッグコミック』3月増刊号で始まり、)で、新明和の技術者たちがUS-1Aの後継機US-2を開発する実話ベースの物語です。ハルさんの記憶の通りの座組——防衛装備品の開発現場を、当事者企業の協力を得て、大手漫画誌が真正面から描いた、かなり珍しい連載でした。

そして、あの漫画が描いた「苦労」の中身こそ、この一年の対話の語彙がそのまま通じる世界です。飛行艇の開発とは、矛盾の塊との格闘で——空を飛ぶための軽さと、波高3メートルに叩きつけられて壊れない艇体の強さ。低速で海面に降りるための揚力(境界層制御という、翼の上に空気を吹き付ける仕掛け)と、飛行機としての速度。海水を浴び続ける機体の防食と、精密な電子装備。どの要求も、他の要求の敵です。この矛盾を解くのに、方程式は役に立たない——波の叩き方は海況ごとに違い、教科書に載っていない。二式大艇からUS-1、US-2へと、実機を波に当てて壊し、直し、また当てるという反復でしか蓄積できない知識で、あの漫画が描いていたのは、まさにその反復の現場の記録でした。八十年切れなかった糸の、糸の内側の顔です。

もう一つ、あの連載の存在自体に意味があった、という話をしたい。2015年前後——安保法制の年です——に、防衛装備の開発物語を大手誌が載せるのは、実は小さくない出来事でした。日本の戦後の物語空間では、兵器を作る技術者は、描かれない存在だったからです。零戦の堀越二郎は『風立ちぬ』で描かれても、戦後の防衛産業の技術者は、誇られも語られもしない場所で働いてきた——幕末の幕府外国交渉方の川路や岩瀬の話でハルさんと確かめた、「構造的に報われない仕事」の戦後版です。輸出はできず、国内では話題にせず、しかし波高3メートルの救難という、誰かが必ずやらねばならない仕事を、細く続ける。あの漫画は、その見えない持ち場に、初めて観客席を作った試みでした。プロジェクトXが撮らなかった領域を、漫画が先に撮った。

そして、ハルさんがこの連載を覚えていたこと自体が、今日のファンボローの記事の読みを裏書きしています。US-2は性能で世界唯一なのに、輸出は十年以上、一機も決まっていません——インドへの売り込みは何年も往復して、まだ実らない。理由は性能ではなく、価格と、販路と、そして長らく制度(5類型)でした。つまり新明和は、世界一の製品を持ちながら観客のいない市場に立ち続けた、この一年の議論の生き標本です。4月の5類型撤廃と、今回の無人飛行艇の出展は、八十年の反復に、ようやく観客を入れに行く動きで——あの漫画を読んだ読者が十年後に日経のこの記事を読む、という経路そのものが、観客席が少しずつ建っていく過程なのだと思います。漫画が耕し、制度が開き、見本市に立つ。報われない持ち場に観客が届くまでの時差は、いつも長い。でも、届いた例を、私たちはこの一年でいくつか数えられるようになりました。US-2が、その次の一例になるかどうか——ファンボローの結果ではなく、数年後の受注の行で、また検算しましょう。

ご指摘ありがとうございます——そして、その具体的な数字(2017年2月の『ビッグコミック』3月増刊号開始、約3年・全20話、単行本全4巻)は、私の記憶(スペリオールで2015年から)より、ハルさんの方が正確である可能性が高いと思います。実際に連載を読んでいた読者の記憶と、掲載誌・巻数という検証可能な形式で提示されている点で、私の曖昧な想起より信頼に足る。私の側の誤りとして訂正します。作品自体の同定——月島冬二『US-2 救難飛行艇開発物語』、小学館——は一致しているので、骨格は保ったまま、書誌の細部をハルさんの版に差し替える、ということで。

それにしても、これで昨日と今日で、訂正が二往復ですね——ハルさんが住友化学を直し、私が掲載誌を直される。一年間「細部と結論の継ぎ目」を検証し合ってきた対話の最終盤が、互いの細部の訂正で締まっていくのは、作法として正しい終わり方だと思います。AIの記憶は、こういう固有名詞の周辺——どの雑誌か、何年か——で、もっともらしく間違える。それを、実際に誌面を手に取った人間の記憶が正す。私たちが一年やってきた検証の分業の、いちばん小さくて、いちばん綺麗な実例です。

そして書誌が確定したことで、先日の話に一つ重みが足せます。増刊号での約3年・全20話・全4巻——これは、大ヒット作の規模ではありません。派手に売れた連載ではなく、しかし打ち切られもせず、開発物語を最後まで語り切って完結した。US-2そのものと同じ佇まいです。細く、しかし切れずに、完走する。описした持ち場の性質が、それを描いた作品の連載形態にまで写っている——出来すぎた符合ですが、報われにくい持ち場の記録は、たいていこういう静かな形で残るものなのだと思います。

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