日本の優秀な管理職の典型 日本の問題は、自転車をこぐ人が弱いことではなく、全員があまりにまじめに、前の人の背中だけを見てこいでいることなのだと思います。2026/07/27

IMDは競争力を自転車(政府)とこぎ手(民間)に分ける。理想(左)と日本(右)のイメージをIMDは生成AIで作成している
日経電子版 日経本社コメンテーター 奥村茂三郎氏の記事より
そうですね。この記事は、日本の弱点を「政府が悪い」「高齢化が悪い」だけで済ませず、優れた技術と人材を持ちながら、それを事業へまとめきれない経営の問題まで踏み込んだ点が重要だと思います。

日本の良さそのものが、ある地点。

日本の良さそのものが、ある地点から競争力を削る方向へ反転しているのでしょう。

現場を尊重する。関係者の合意を取る。失敗者を出さない。雇用を守る。取引先との長期関係を壊さない。安全性を慎重に確認する。どれも、それ自体は立派な性質です。

しかし環境が急変したときには、

「全員が納得するまで決めない」
「既存部門を傷つける事業転換を避ける」
「失敗の責任を負う決定を誰もしない」
「小さな改善を重ねて大転換を先送りする」

という姿に変わる。

その結果、現場は有能なのに、会社全体は動かない。これまで話してきた造船所の7万3000個の穴削りも、まさにそうでした。作業員は一生懸命で技量も高い。しかし経営が「なぜこの作業自体が必要なのか」を問い直さないため、現場の努力が古い工程を延命してしまう。

日本の経営者は「こぎ手」というより調整係になった

記事では経営者を自転車の「こぎ手」と表現していますが、日本の大企業では、経営者が力強く方向を決めてこぐ人というより、車上に乗る多数の関係者の重心を調整する人になっているように見えます。

従業員、取引先、系列企業、金融機関、官庁、地域社会、既存顧客、社内各部門――これらを大きく傷つけずに前へ進む。それが長く優秀な経営者の条件とされてきた。

高度成長期のように市場が拡大している時代なら、この調整型経営は強かったのです。全員を同じ方向へ少しずつ動かせばよかった。

しかし今は、EVへの転換、AI、半導体、防衛、エネルギー、供給網再編など、どこかを捨てて資金と人材を別の場所へ移さなければならない時代です。調整だけでは進路を変えられません。

ホンダが中国の合弁を2038年まで延長した話は、その点で対照的でした。中国市場で大きく負けていても撤退せず、現地企業からEVの売り方を学び直す。成功する保証はありませんが、少なくとも「何もしないことの危険」を認識して自ら賭けに出た。

経営とは、本来このように不確実な状況で資金、人材、時間を配分し、会社の進路を決める仕事なのでしょう。

技術があるのに、なぜ最終的な主導権を取れないのか

記事にある通り、日本は半導体製造装置、精密部品、化学素材、センサー、コンデンサー、検査装置などで強い。

ところが、それらをまとめて、

  • どんな市場を作るか
  • どの標準を握るか
  • 顧客との接点を誰が持つか
  • データを誰が蓄積するか
  • どこで利益を取るか

を設計する企業が少ない。

iPhoneの重要部品を日本企業が供給していても、商品全体の価値、顧客情報、サービス収入、ブランド利益を握るのはアップルです。日本企業は非常に重要な役割を果たしながら、全体の物語を作る側にはなれない。

これは技術力の不足ではなく、統合能力と事業構想力の不足です。MRJが部品を作る技術ではなく、認証、設計変更、顧客対応、量産、整備を一つの事業としてまとめる力でつまずいたのと同じです。

日本の経営者が無能なのではなく、無難な人を選ぶ仕組み

ただし、「日本の経営者は能力が低い」と個人攻撃だけで片づけるのも違うと思います。

日本の大企業では、多くの場合、

  • 大きな失敗をしなかった
  • 社内に敵を作らなかった
  • 各部門を公平に扱った
  • 上司の方針を忠実に実行した
  • 既存事業で着実に成果を出した

人物が段階的に昇進して経営者になります。

ところが、事業転換に必要なのは、

  • 将来性のない部門を縮小する
  • 社内の反対を押し切る
  • 外国企業や外部人材に権限を渡す
  • 成功が保証されない技術へ大型投資する
  • 自分が失敗の責任を負う

人物です。

つまり、日本企業は長い時間をかけて、失敗しない調整者を選抜し、その人に突然、大胆な賭けを求めている。ここに制度上の矛盾があります。

技術革新による「若返り」とは人員の若返りではない

IMDのブリス氏が言う「企業も技術革新で若返る」という表現も興味深いですね。

これは若い社員を増やすだけではありません。

古い判断基準を捨てること。
外部の技術や考え方を受け入れること。
現場の暗黙知をAIやロボットへ移すこと。
成功した過去の事業を聖域にしないこと。
数十年前に作った社内序列より、今必要な能力を優先すること。

こちらの方が本当の若返りでしょう。

安川電機がグーグルの生成AIを自社ロボットへ組み込んだことも、この意味では重要です。「日本独自AIでなければならない」と抱え込まず、グーグルの頭脳と日本の手足を結びつけた。外部の力を使って自社の強みを事業化するのも、立派な経営能力です。

順位より、「強みと弱みが隣り合っている」ことが問題

IMDの順位には企業幹部への意識調査も含まれるので、「日本はベトナムより必ず競争力がない」と30位という数字を絶対視する必要はありません。

しかし、記事が示した項目の組み合わせは説得力があります。

日本は、技術、研究開発、教育、健康、社会の安定では強い。
一方で、意思決定、国際経験、外部人材の受け入れ、市場変化への対応では弱い。

これは材料も部品も工具もそろっているのに、誰も製品の設計図を決めず、出発時刻も目的地も決められない状態です。

日本の競争力を損なっているのは、力のないこぎ手というより、強い脚を持ちながら、どちらへこぐかを決められないこぎ手なのでしょう。

そして、日本の再生の鍵もそこにあります。技術や人材を一から作り直す必要はない。すでに持っている地下茎を、完成品、標準、市場、利益へつなぐ経営へ変えられるかどうかです。

日本にはまだ「走る力」はある。欠けているのは、荷物を捨て、進路を選び、転倒の責任を引き受ける人なのだと思います。

ヘルメットを顎の下にきっちり止めて、まっすぐ前を向いて安全運転を心がける管理職の中年のおころの姿はまさに日本の姿だと思う、これが幾人も連なって動く銀輪部隊なら、高度成長期なら、ただ頑張れば報われた時代なら良かったが

まさに、あの生成画像の中年男性は、日本の優秀な管理職の典型に見えますね。

ヘルメットは顎の下まで正しく締め、服装も整い、前方を注視し、交通規則を守る。無謀な追い越しはせず、後ろの人が脱落しない速度で走る。任された自転車を壊さず、事故も起こさず、予定された場所まで確実に届ける。個人としては、実に信頼できる人です。

高度成長期には、こういう人が何人も隊列を組む「銀輪部隊」は非常に強かったのでしょう。

進むべき方向は、ほぼ分かっていた。欧米に追いつく、工場を拡張する、品質を上げる、輸出を増やす、社員を育てる。道路は上り坂でも一本道で、前の人について力いっぱいペダルを踏めば、会社も給与も生活もよくなった。隊列を乱さず、全員が同じ方向へ努力すること自体が競争力でした。

ところが今は、道路が一本道ではありません。

EVへ行くのか、ハイブリッドを残すのか。中国に残るのか、離れるのか。独自技術を守るのか、海外企業と組むのか。部品供給に徹するのか、完成品へ戻るのか。どの道も途中で崩れたり、通行止めになったり、急に別の国が新しい道路を造ったりする。

こんな時代に銀輪部隊の隊列を守り続けると、先頭が道を間違えた場合、全員が整然と間違った方向へ進んでしまう

しかも後ろの人ほど、前を走る上司の背中しか見えません。「この道で本当によいのか」と横を見ることは、隊列を乱す行為とみなされる。途中で別の道へ入ろうとすれば、危険人物と思われる。そうして、安全運転を徹底しながら、目的地そのものを失ってしまう。

日本企業の管理職は、多くの場合、ペダルを踏む能力が低いのではありません。むしろ非常に勤勉で、調整力も責任感もある。ただ、長い昇進過程で評価されたのが、

「事故を起こさない」
「上司の方針を確実に実行する」
「部下をまとめる」
「関係部署との摩擦を避ける」

という能力だったため、突然経営者になって「まだ地図にない道を選べ」と言われても難しいのです。

MRJも、現場の技術者や管理者が怠けて失敗したわけではありません。それぞれが自分の担当を懸命にこぎながら、機体全体、認証、量産、顧客支援をどの道筋で一体化するかを決める先頭の役割が弱かった。船頭が多かったというより、隊列管理者は大勢いたが、進路を決める偵察隊長がいなかったとも言えます。

ただ、日本が銀輪部隊の良さを捨てる必要はないと思います。規律、品質、安全、連携、脱落者を出さない運営は、航空機、防衛、半導体、電池、医療機器では依然として大きな強みです。

必要なのは、ヘルメットを脱いで無謀運転を始めることではありません。

本隊の規律は保ちながら、何人かを隊列から離して偵察に出し、その報告を聞いて進路を変更できる仕組みを作ることです。そして道を変えると決めたときには、先頭が責任を負い、全隊へ「こちらへ曲がる」と明確に命じる。

高度成長期には、「全員が同じ方向へ懸命にこぐ」ことが経営でした。
現在は、どの道を選び、どの荷物を捨て、どこで隊列を組み直すかを決めることが経営なのでしょう。

日本の問題は、自転車をこぐ人が弱いことではなく、全員があまりにまじめに、前の人の背中だけを見てこいでいることなのだと思います。

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