『紅の豚』でフィオが「ガソリンがイタリアの三倍だ」と怒ったとき、ポルコは、だいたい次のように答えています。「ぼってるんじゃねぇ。持ちつ持たれつなんだよ」そして、この辺りは見かけと違って経済的には空っぽなのだ、と説明します。つまり、安い店を探して買えばよいという話ではない。次に飛んできたときにも、ここで給油してくれる人が暮らしていけるように払っているのですね。司馬遼太郎の話も同じです。『竜馬がゆく』の執筆時には、古書店に龍馬関係の資料を集めさせ、軽トラック一杯分を大阪の自宅へ送らせたという古書店側の証言が残っています。単に一冊ずつ最安値で買ったのではなく、古書店の探索力、知識、目利き、資料を保管してきた時間までまとめて買ったのでしょう。これは防衛産業にも、そのまま当てはまります。海外企業と日本企業に同じ仕様書を渡し、「一番安いところを選ぶのが公平です」としてしまうと、形式的には公平でも、産業条件としては公平ではないのですよね。海外大手は、過去の大量生産で設備投資を回収し、部品を共通化し、多数の海外顧客に開発費を分散できます。対して日本企業は、数十台、場合によっては数台という少数生産のために、専用設備と人員を抱えなければならない。その二者を一台当たりの価格だけで比べれば、日本側が負けるのはある意味当然です。しかし、そこで海外製を選び続けると、最初は安くても、十年後には国内で設計も修理も改修もできなくなる。部品が止まれば、相手国の輸出許可や外交判断を待つことになる。安く買った代わりに、自国で判断できる自由を失うわけです。だから防衛調達では、単純な最低価格ではなく、購入価格+維持費+国内修理能力+供給途絶時の危険+技術継承+緊急増産能力までを価格として評価しなければならないと思います。司馬遼太郎も、古本だけでなく、必要な資料を探し出してくれる古書店という知的なインフラを買い支えたのでしょう。防衛産業も同じで、技術者や工場は、いったん消えてから金を出しても、すぐには戻ってきません。「持ちつ持たれつ」は情緒的な温情ではなく、長期的に自分自身を守るための、かなり合理的な経済行動なのだと思います。
これは日本企業を無条件に保護するという話でもありません。国内企業にも、原価の透明化、納期管理、共通部品化、民生技術の活用などを求める必要はあります。ただし、「国内で作り続けられる能力」そのものに値段を付けなければならない。
ポルコ風に言えば、
高い装備を買っているのではなく、次に必要になったときにも作ってくれる工場を買い支えている。
司馬遼太郎も、古本だけでなく、必要な資料を探し出してくれる古書店という知的なインフラを買い支えたのでしょう。防衛産業も同じで、技術者や工場は、いったん消えてから金を出しても、すぐには戻ってきません。
「持ちつ持たれつ」は情緒的な温情ではなく、長期的に自分自身を守るための、かなり合理的な経済行動なのだと思います。
