チューリングの先見的な考え 後にコンピュータと名づけられた機械の仕組みについて

1935年の初夏、22歳のチューリングは、彼の大きな業績となる仕事に取り掛かっていた。
彼は、ヒルベルトが提起した論理的な問題を、一つずつ段階を追って処理できるような実際の機械とはどのようなものか、想像を巡らせた。
彼が気づいたように、そのような論理的記述の列を一つずつ判定していく機械には、ほとんどあらゆることが可能だからだ。

機械のオペレーターは、機械にさせたい指示を、極めて明確に書き下すだけでいいことになる。
機械は、その指示の意味を理解する必要はなく、ただ実行すればいいのである。

第二次世界大戦が始まると、チューリングは、ドイツの陸軍と海軍が文章を暗号化するのに使った[エニグマ]という暗号機による暗号の解読を担当するチームに配属された。2,3週間の内に新しい暗号解読方法を確立するのに一役買い、そして2か月すると、ドイツ海軍の暗号解読を担当する部門全体の責任者となった。

1940年後半において、この任務は、イギリスのすべての作戦の中でも最も重要なものとなった。
チューリングに任された部門は、ドイツの暗号機の内部で行われていることの、少なくとも一部を再現できるような機械を作り上げる必要があり、毎時数万種の順列を作り上げることが求められた。歯車と、穿孔テープ、そして単純な回路からなるイギリス側の装置は、[ボンブ]と名付けられた。

このボンブは、一台のコンピュータとはいいがたいものだった。というのも、ボンブを構成する各装置を働かせるにいは大勢の事務員が必要で、その人員も、はじめは数十人だったのが、やがて数百人に膨れ上がったほどだったからだ。事務員たちに大部分は、由緒正しい上位中流階級の家庭から、英国海軍婦人部隊(略称WRNSだが、鳥のミソサザイを意味するWRENSとも呼ばれた)に採用された若い女性であった。だが、この人間と機械を組み合わさった装置は、ある興味深い性質を帯びるようになっていた。つまり、WRENSの女性たちとボンブを一体として働かせることによって、チューリングは、戦前の平和な年月に構想した[万能コンピュータ]に、それまでで最も近いものを作り上げたのである。

「WRENSに、彼女らが管理する機械の内部の単純な電気回路を組み合わせたもの」は、ある意味、[ハードウェア]であった。ドイツ軍が暗号作成法を変更したり、英国暗号解読チームの仲間が新しい解読法を提案などして、外の世界から新しいデータが入ってきたなら、チューリングは彼の管理下にある、この人間と機械からなるグループ全体を「再プログラム」すればよかったのである。

チューリングはそこそこの規模のグループをまとめるのが得意で、やがて、彼のチームが成功することも徐々に増え始めた。彼が思い描いたコンピュータは、一つの物理的な実体として集約された形にはまだなっていなかったが、今、いくつもの建物に分散され、WRENSの女性たち、銅の電線、そしてチューリング自身の考えという、全く異質なものでできていたとしても、メモリ、プロセッサ、再生可能ソフトウェアなど、そのパーツのほとんどが、かいがいしく働いていた。

              出典:『電気革命 モーリス、ファラデー、チューリング』(D・ボダニス、新潮文庫)

20代半ばから40年間、コンピュータのプログラム開発に携わってきた身には、このチューリングの物語は、とりわけ興味深い。