ルネッサンス時代の終焉

1000年続いたローマ帝国も、5世紀半ば、西ローマ帝国が数々の異民族の侵攻の果てに滅亡する。
370年ごろから始まった、東方よりフン族が侵攻し、それ押し出されるように、北方から、西方から蛮族がイタリア北部へ流入してくる。
イタリアの各都市も略奪と破壊に見舞われる。
その中で次第に海に面したヴェネツィア、ジェノバ、ピサは、東地中海を通して、トルコや黒海方面、アフリカ海岸地帯との海洋貿易で栄え始める。内陸部のフィレンツェは、10分の1税で国庫が膨れ続ける教皇領の金融運営担当として栄え始める。

特に、異民族からの攻撃から逃れようと陸地から離れた潟の中に町作りを行ったヴェネツィアは、海外交易を国是とした。アドリア海からエーゲ海、アフリカ海岸への航路の開拓、中継地の確保に全力で取り組んでいった。成人男子全員が船員であると同時に商人でもあった。リスク分散のやり方もしっかり成文化して取り決めがなされている。シェークスピアの「ヴェニスの商人」のように、一人の人間から融資を受け、船を失って全財産を無くすというのは、どちらも有り得ない。
ヴェネツィアの成年男子で、20年、30年、交易で海外暮らしを続けることは普通にあった。

15世紀になると、日本の江戸時代の藩のように、イタリアは、ヴェネツィア共和国、ジェノバ共和国、フィレンツェ共和国、教皇領など10数個の国に収斂する。

1494年、フランスのシャルル8世がアルプス山脈を越えて、イタリアに侵攻する。
この年を境に、イタリアの混迷は始まり、ルネッサンス時代が終焉を迎える。

フィレンツェ人マキャベリの進言
国庫に膨大な支出を強いる傭兵制度の廃止と国民軍創設
下層の人々から成る国民軍のあっけない崩壊

この時代有力な都市は、傭兵制度を用い
戦争は傭兵同士の争いに任せていた。
1494年、フランスの農民兵がシャルル8世に率いられてイタリアに侵攻してくる。

これはまるで
新興のローマが地中海の交易大国カルタゴと争ったポエニ戦争と似ている。
ローマ帝国は国民皆兵でローマ市民自らが戦い、一方金持ちのカルタゴは傭兵に任せていた。
結局三次のポエニ戦争を経て、カルタゴは滅亡し、ローマは地中海の覇者となっていく。

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