ドラマ『臥薪嘗胆』がついに終了

『臥薪嘗胆』全41話が終了した。
なかなか見ごたえのあるドラマだった。

ドラマがそう作っているだけなのか
越のトップである勾践が国の復活を決意して生き延びることを選択すると
付き人をはじめ大部分の重臣が生き続け、
一方、
呉のトップである夫差が己れの愚かしさを恥じて自刃の道を選択すると
付き人をはじめ多くの重臣が亡くなっていく。
重臣にとっては、越にいたか呉にいたかの違いだけなのだが...
ドラマで視た印象では、
呉のトップの夫差とNo.2である相国の伍子胥(ごししょ)の関係は、
若社長と先代からの大番頭の関係に似ている。
自分の考えを持つ若社長が、何かといえば先代のことを口にして口出ししてくる大番頭に辟易しながらも重用して役割を提供している。大番頭は、若社長を、周りにへつらうだけの小物を集めていると非難するが、若社長にとっては、周りに知恵を求めているわけではなく、自分のプランに従って粛々と動いてくれるものを重用しているだけである。
我慢に我慢を重ねた若社長が、ついに大番頭を辞めさせたのは、
社員の前で若社長のやり方にことごとく反対し非難し、
社内にシンパをつくっている大番頭が、
会社を見限って会社を売るような動きを見せたときである。
若社長のプランの結果がうまくいけば、
よくどここまで我慢したと賞賛されるのでは、と思う。
基本方針が違う人間は、影響力の強い人材であればあるほど
早めに辞めさせるのが良いのかもしれない。
そして、単なるイエスマンではなく、若社長は自分のプランに賛同して自分で動く人材を周りに集めていく。
若社長は、社員の行動や考えを拘束しがちな具体的な方針ではなく、皆で共有できる理念を掲げる。
そうして覇業が成就して、各国に影響力を持てば、
越の反撃などものの数ではなかった、と思う。
呉王夫差の失敗は、
大番頭の意見を聞き入れない若社長の暴走ではない。
彼の失敗は、
自分のプランを一人で抱え込んで、
ペットのようにかわいくてたまらない癒しの人物だけを側に置いたことであり、
理念を共有するブレーンを周りに集めて
速やかに理念の実現へもっていかなかった
ことにあるような気がする。

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