なぜ人間と同じように動くロボットの作成が難しいか--ダンカン・ワッツ『偶然の科学』

人間は生まれたときから
さまざまなルールを身につけていく。
そのルールは
社会の中で
そのときそのとき
どう身を処したら良いのかを教えてくれる。

エレベータ内で人の顔をじっと見つめない
食物や飲み物は客の方から先に渡す
何かもらったら、笑顔で礼を言う

など
理屈ではなく、
その場その場がスムーズに流れることを目的としている。

ひとつひとつのルール間には
論理的整合性などはなく
その場その場でどう対処すれば良いか教えてくれる

これらのルールは
人類全体に共通するものもあるが、
所属するグループによって
また時代環境によって
異なるものも数多い。

ただこれらのルールが
人間の行動を規制する

ロボットの行動は
コンピュータのプログラムに依る。
論理的整合性の上で全体をプログラミングしていく。
あいまいさの要素を入れるさいも
あいまい度の判定を
論理的に整合するように設計して
全体を構築する。

ダンカン・ワッツの『偶然の科学』では
ルールや常識が
如何にあいまいで、且つ根強いものかを述べている。

ロボットに模倣させるのが人間のごく限られた行動でも
ある意味では世界のすべてを教えなければならない。
そこに不備があると、
最も精巧なロボットでも必ず失敗する。
プログラムされている状況とほんの少し違った状況に出くわした途端、
どう行動すればいいのかわからなくなるのだ。

数年前、アメリカの経済学者と文化人類学者がある実験をした。

まず、2人を選びだして、
そのうちの1人に100ドル与える。
金を受け取る人物は、その100ドルのうち、もう1人の人物に
いくら分け与えるかを言わなければならない。
全額でもいいし、全く与えなくてもかまわない。
相手が承諾すれば、2人にそれぞれの金額が与えられる。
ただし、相手が拒否すれば
2人とも何も貰えない。

理詰めで考えれば、たとえ1ドルでも何も貰えないよりましなのだから、
相手はゼロより大きな額ならどんな申し出でも受けるはずである。

何百回という実験の結果、
ほとんどの人は折半を提案するし、
30ドル未満の申し出はだいたい拒否されている。

少し考えれば、実際の人々がとる行動の理由はすぐに思いつく。
それが可能だからといって、状況につけこむのは公正でないように思えてしまう。
そのため、
3分の1未満の申し出をされた相手は、
自分が食い物にされていると思い、
みじめな提案者に灸をすえるべく、
それなりの金額を前にしてもあえて席を蹴る。
そして提案者もこの反応を見越しているので、
相手に公正な分け方だと思ってもらえそうな申し出をする傾向にある。

常識らしいものがあるとき、
人々は金並みにその公正さを重んじる。
金よりもずっと重んじる場合さえある。

この実験を他の地域で行うと、
ペルーのマチゲンガ族は、
金額の4分の1程度しか申し出ない場合が多かったが、
この申し出のほとんどが拒否されなかった。

パプアニューギニアのアウ族とグナウ族は、
折半よりも大きな金額を申し出る場合が多かったが、
拒否されがちだった。

アウ族とグナウ族には、
贈り物を交換する古くからのしきたりがあり、
そのため贈り物を受け取ったら
将来いつか返礼する義務を負う。

一方、ペルーのマチンガ族は、
信頼でき頼れるのは身内だけという社会で暮らしている。
そのため、
提案者は公正な申し出をする義務をほとんど感じなかったし、
受ける方も欧米の実験協力者なら不公正な分け前のように思えて
こみ上げてくる憤りをまったく感じなかった。
マチンガ族には、少ない額の申し出も好条件の取引に思えたのである。

というようなことを
ワッツは『偶然の科学』の中で書いているが、
この実験の結果について
もう少し検証する必要があるように思う。

ワッツ自身も
数ページ前に、
どういう結果がでようと、
人は容易に
納得のいく説明を見つけ出す、
と書いている。

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