なぜインドネシアにイスラム教徒が多いのか?インド洋の季節風により、古代より中近東との行き来が容易であった

地球上には、規則的な風の流れがある。
その風をとらえた帆船は、海上貿易を容易にした。
紀元前、地中海文明が栄え、旺盛な消費要望に応えて、
ヴェネティアやフィレンテェの人々が地中海の交易商人として活躍した。

地中海の東岸、コンスタンティノーブルを一大拠点に、
黒海からトルコ沿岸、カイロに至るまで
船団を組んで交易商人が行き来していた。

彼らの相手をしていたのが、ペルシャの商人たちだった。
初期の頃は、主に小麦や奴隷だった。
それから、西の方から香辛料が入ってくる。

パンと焼いた肉と酒という単調な食事の中で
肉の生臭さを消し味を引き上げる香辛料は
何よりもヨーロッパの王族や貴族や豪商などの富裕層が欲しがった。

インド洋は、沿岸にそって、貿易風が吹く。
季節風によってその向きが大きな影響を受ける。

ペルシア沿岸の港を出航した小さな帆船は
南西風に乗ってインド沿岸に達し、
そのまま沿岸に沿って、
インドネシアに至る。
そこで香辛料を仕入れ、
逆向きの季節風の吹く頃を待つ。

来たときとまったく逆なコースで
ペルシアの湾岸に戻る。

陸揚げされた香辛料は、半島を横切り
地中海沿岸に至る。
ヴェネティアやフィレンテェの交易商人の手を経て
ヨーロッパの富裕層に元に至る。
そのときは、金の量と故障の量が同じという位の値段になっている。

季節風に乗れば容易に行き来できたため
小さな帆船でも安全に航海でき、
多くに商人がこの航路を行き来いた。
これによって
イスラム教が広まったにのではないかと思う。

また、大きな船や頑丈な船を造るといった造船技術が
ペルシアでは、発達しなかった。
この航路で十分利益が出ていたため
アフリカはマダガスカル島に近くまでしか行っていない。

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